70周年記念誌
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069音楽は、私の人生を拓く「言語」になった。なんて美しい校舎なんだろう、というのが女学院の第一印象。ここで技術だけでなく表現力も磨きたいと無我夢中で学ぶうち、女学院の教員になりたいと自然と思うようになりました。卒業してからイタリアに留学し、帰国後に夢だった女学院の教員オーディションのチャンスが到来。なんとオーディションの日は産後1ヶ月という異例のコンディションでしたが(笑)、師事していた斉藤言子先生の力強い後押しもあってチャレンジし、無事合格することができました。夢だった教員生活は10年間続きました。夫の仕事の都合で東京に住まいを移してからも、子どもを連れて東京と岡田山を行き来する、忙しくも充実した日々。その後、大きくキャリアの方向性が変わったのは、夫の公務でインドネシアに駐在することになったとき。現地の大学で音楽を教えることになり、音楽を通して社会と関わることの楽しさを知ったんです。その後、ザンビアへの赴任にも同行し、そこでも音楽を通した活動を行いました。「音楽」と、言語・国際交流・人道支援などを掛け合わせることで、世界とつながることができる。自分の生きるステージを見つけられる。私にとって音楽は、世界とつながる「言語」なんだと気付いたんです。帰国してからも、その思いは  

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