嘘のようなホントの話‐後から、ぞっとした話
京都観光
【O.A.】
夏休み、観光は定番だ。そうだ、京都に行こう。しかし、これは深夜の京都観光である。
23時45分。「明日遊びましょう。」バイトが終わって、そうそうクロヤマが言い出す。
0時40分。「明日の『清水寺に行って、門を見よう』の件ですけど、定員がちょうど7人なんで、話に出さないようにお願いします。」とのメール。ナガタニの車は、トランク部分の床に座席が折りたたまれているため、7人乗ることが可能だ。
23時56分。助手席に座る。ヨハン、ソウナイを自宅まで迎えに行き、仕事終わりのクロヤマ、ギハラ、シュンスケをBOOKOFF前で拾う。「締めが長引きました。」売り上げも取れなかった。全員が乗車し、箕面から走り出した頃、深夜1時に近づいていた。
1時30分。深夜の国道171号線は、お盆の影響か交通量は意外に多かった。鉄塔の赤いライト、コンビニエンスストア、お城のようなホテル、それ以外は車のライトと遠くの夜景。
2時21分。もちろん清水寺の門は閉まっている。その門の写真を撮るという不可思議な行動をする。警備員さんが来る。平謝りし退散する。
2時53分。嵐山に到着。周りは山が連なり、どのとんがりが嵐山かわからなかった。川が穏やかに流れている。静かすぎる道に砂利を踏みしめる音。暗さの中でも、山波は見える。
3時14分。「次のご予定は?」「次はトンネルに行きます。」運転手ナガタニは以前、偶然に見つけたトンネルにもう一度行きたいという。草木も眠る丑三つ時。ここには野良猫が多い。
3時34分。山に通じる一車線の古いトンネル。ナトリウムランプが、等間隔に付いている。まっすぐ伸びるトンネル内のオレンジと黒の縞模様が、奥に行けば行くほど、間隔を狭めていく。ナガタニとヨハンが車を降りる。私も続く。他のメンバーもトンネルに向かい歩き出し、ソウナイだけが車に残った。
3時40分。トンネルの前には、信号が一つ。一車線のため、トンネルを行き来しやすいように付けられたものだろう。もう少し、近づこう。船頭を切って歩き出す私の背中に、「男前」という言葉が届く。もう少し、近くへ。出口が見えない。靄がゆらゆら揺れて見える。女の人だ。白いワンピースを着た、女の人に見える。
3時43分。青に変わる。それまで赤だった信号が、直進する私を迎え入れるかのように青に変わる。誘われている。ふっと、左を見ると、5体のお地蔵さん。右には2体のお地蔵さん。日に焼け過ぎて赤い布をつけ、お供え物もある。まだあまり日は立っていないようだ。トンネルからは水の流れる音がする。車に戻るとソウナイが言う。「誰もいないはずなのに、ノックされた。」
3時52分。試峠の清滝トンネル。帰り道、携帯電話で調べてみると、京都で有名な正真正銘の心霊スポットだったらしい。帰り際、お地蔵さんに「お邪魔しました」と挨拶をして良かった、
4時50分。国道171号線と大阪中央環状線を使い、50分弱で京都から大阪に帰ってくる。
11時30分。目覚めて食事も終え、昨日撮った写真を見返す。嵐山の写真。そこには、白い光が数個、うつりこんでいる。
<難波江からのコメント>
出来事を時系列に並べて、「ぞっとした話」に仕立てる手法。ややまったりしすぎて、コワサ半減というところでしょうか。「23時45分」と「23時56分」に挟まれた「0時40分」は間違い?
それぞれの時間に起こったことは比較的ていねいに書かれていますが、それらが単に列挙されているだけで、「ぞっとした話」として焦点を結ぶというインパクトに欠けるように思われます。個人的には、「白いワンピースの女」、「ノック」、写真の「白い光」と並んだために、却ってコワサが分散された印象です。
話を「仕立てる」という意識をもっと強くもって、ある意味、脚色するくらいのノリで、細部の効果を全体に波及させるように書けたのではないでしょうか。その観点から見れば、「嵐山に到着」のあたりから書き始めてもよかったように思います。簡単に言えば、もっと「ぞっと」させてほしかったということです。
「船頭」は「先頭」の変換ミス。「3時43分」の「青に変わる。」はカット。
<内田からのコメント>
ウチダからもひとこと
うまいね。
なんか、『パラノーマル・アクティヴィティ』とか『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』的な「ドキュメンタリー」タッチで、いいね(「ほんとのはなし」を書く課題だから、ドキュメンタリーじゃないといけないんだけど)。
名前がカタカナで書いてあるのもいいです。
ヨハンというのがいったいどういう由来でそういう呼び名になったのか、つい想像してしまいました。
オリジナルは「ヨハンナ」?
ヨハンナ・スピリ。
違うか。
どっちにしても、あまり心霊スポットみたいなところには行かない方がいいですよ。
何か「持って来る」ことありますから。
僕でも、ひどく疲れているときは、「置いてくる」ことがあります。
誰かが拾うと、けっこうたいへんらしいです。
前に「置いて」きたときは、その部屋の人が「なんか、さっきウチダさんが座っていた辺にいるね」ということで、「ウチダさんの好物って、何?」という話になって、あんこ系のものをそこに並べて供養したら、部屋の雰囲気が明るくなったそうです。
あんこで供養されちゃったウチダの生き霊の話でした。