メディアコミュニケーション演習 最終課題

【H.A.】

 ねぇ、ちょっと聞いてよ。お母さんほんっとに謎なんだけど。

 え? またなんかあったん? あんたの家はほんまにいつも忙しいなぁ。

 またとか言わないでよ!! 確かによくあるけど…。

 ほら(笑)あんたのあだ名があひるやからって、携帯のアドレスを“あひるママ”にする人なんてなかなかおらんよ?

 あーもー!! そんな古い話持ってこなくでもいいじゃん!! てかね、昨日な、7時ぐらいにお母さん帰って来たの。そん時にインターホン鳴ったんだけど周り暗すぎてお母さんかどうかわからなかったわってドア開けてから言ったらね、「じゃぁ、明日からにゃーとかわんっていうわ」ってすっごい真面目な顔して言うんだよ。もー、本当に意味がわからん…。あたし、絶対あの人の娘じゃない!!

 ぶっ!! さすがやな。今日絶対わんっていうで?(笑) それにあんたやってちょっと抜けてるやんか。

 いやいや、それは絶対ない!! てかこれ、抜けてるとかそういう問題じゃないじゃん!! 確かにあたしもちょっと抜けてるかもしれない、それはあの人よりマシ!!

 はいはい。てか、こないだ甲子園行ったんちゃうん? どうやった?

 すごい暑かった!! おかげで首から上黒くなった!!

 でもいいやん、楽しかったんやろ?

 うん、すごく楽しかった!! 高校野球好きだし。そう!! 思い出した!! そこで、あり得ん話聞いたの。

 また? ほんまあんたん所は休む暇ないな。

 やろ。なんでこんなに忙しいんだろう…。

 んでなんなん?

 そう!! 甲子園って海近いじゃん? んで、いいなぁ、入りたいって話してたらないきなり笑いだしたの。なに?って聞いたら、「あんたが歩きはじめたぐらいに海きて波打ち際に背を向けて遊んでたら、足元掬われて海ん中で目めっちゃ開けてビックリしてて、笑ったこと思い出した」って言うんだよ。助けないで上から見て!! どう思う?

 さすがとしか言われへんわー。ないなぁ。

 でしょ!? なんか飽きれちゃって何にも言えなかった。んでさ、帰ってからニュース見てたらプールの映像出て来てプール行きたいなって話してたの。そしたらまた笑いはじめたの。

 はぁ。

 笑ってたら聞きたくなるじゃん? んで聞いたの。そしたらね、4歳ぐらいの時、近所の友達とプール行ったらしいんだけどね、その時、姿見えないなぁと思って探してたら、大きい子用の深いプールで背中だけがぷかーって浮いてたって言うの。はじめそれが私だって思わなかったらしいんだけど、その理由が「その日新しく水着おろして、見慣れんかったから」って。ほんとないわぁ。

 なるほどなぁ、やっぱり子供の服装はちゃんと覚えとかなあかんね。

 いや、そこじゃないでしょ!!

 まぁまぁそんなこと言わない!!
あ、今めっちゃ呆れた顔したな。

 親の顔見てみたいって思っただけ。

 ん、目の前にあるやんか(笑)

 

<難波江からのコメント>

 【T.N.】さんの例と同様、関西弁の語り口です。

 中国語のできない私は、中国人が大声でやりとりをしているのを見ると、いつも喧嘩しているのかと思ってしまいます。関西弁の「ほとんどネイティブ」である私は、関西人がワイワイおしゃべりしているのを聞くと、なんとなく漫才を聞いている気分になります。生まれは四国でも、関西圏に半世紀以上住んでいると、私でさえ、授業のたびに「なんか笑わさなあかん」と思ってしまうくらいです。

 【H.A.】さんの話は、そういう関西のしゃべくりの伝統から恩恵を受けています。関西弁そのものが、「ウソのような本当の話」をするためにつくられてきた言葉のようです。いや、関西弁で語れば、すべては「ウソのような本当の話」に聞こえてしまうということもあります。 

 それと共に、この話は、日本語の特質をうまく利用しています。主語が誰かわかりにくい、というより、文脈から主語を推察する、ということです。言い換えれば、日本人は、相互の、あるいは状況の関係性によって自他の存在を形成したり判断したりしているということです。特に関西弁では、「じぶん」という言葉が「あなた」を意味するということもあります。たとえば、「じぶん、これ好っきゃろ」(あなたはこれを好きですよね)。こうなると、自他は置換も可能になるので、相互の区分そのものが、それほどはっきりしなくなります。たえず “I”や “You”を使って自他を区分しなければならない英語のような言語を母語としている人たちから見れば、それ自体、「ウソのような本当の話」です。

 【H.A.】さんの話では、さらに、母と娘が他人のように距離を置いて話しているので、というより、知り合いがおしゃべりしているように書かれているので、読者はそのひねりも考慮しなければなりません。但し、こうした工夫は、書き手もそれなりに注意しなければ、ちょっとした「ほころび」を生みます。

 たとえば、「甲子園って海近いじゃん? んで、いいなぁ、入りたいって話してたらないきなり笑いだしたの。」という箇所の「笑いだした」、およびそれに続く「言うんだよ」、さらには「そしたらまた笑い始めたの」。これらの動詞の主語は省略されています。そのため読者は、イレギュラーな文章を読まされているという違和感を抱きながら、その主語を文脈から推察せざるをえなくなります。これは読者にとって、やや負担が大きすぎます。(逆に言えば、この主語が抜けていることによって、「ネタバレ」の危険が高くなっています。)

 技術的に言えば、ここでは、「甲子園って海近いじゃん? んで、いいなぁ、入りたいって話してたらな、お母さんいきなり笑いだしたの。」と、主語をはっきりさせたほうがむしろ文章として自然です。しかも、それでも「ネタバレ」(母娘の対話)は起きません。そう考えれば(語り口の効果という点から見れば)、この話は、甲子園のエピソードに関わる後半だけでも充分だったように思われます。

 もうひとこと言えば、関西弁をネイティブとして使える二人の会話は、熱っぽくなればなるほど、「内輪だけの盛り上がり」を生みやすくなります。いわゆる「楽屋落ち」には要注意です。

 

<内田からのコメント>

ウチダからもひとこと

こんにちは。内田樹です。
おもしろく読ませていただきました。
誰がしゃべっているのか、だんだんわかってくるという構造はかなりむずかしいものなんです。
それをよく作り込んでありますね。
これには感心しました。
母と娘って、実際には、語彙もイントネーションもそっくりになっちゃうんですけど、不思議なことに、「相似形母娘」というのはあまり小説にもテレビドラマにも出てきません。
現実よりも、虚構の方がその点では抑制がつよい。
多分、ある種の「禁忌」が働いているんでしょうね。
だから、【H.A.】さんのこのショートストーリーも、ちょっと「怖い」んです。

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