内田樹『街場のメディア論』(光文社新書)

【K.M.】

 あなたは“メディア”と聞くと何を思い浮かべるだろうか? 一般的にテレビや新聞等のマスメディアを思い浮かべる人が多いのではないだろうか。私もその内の1人であった。だが、メディアというのは単に情報を発信している公共機関の情報媒体だけを示すものではない。言葉を発し、誰かに何かを伝えることから私たちも媒体となっている。つまり、言葉を発する私たちもメディアとなりうるのだ。

 人に伝えるにあたって言葉は大切だ。本書では“定型”という個人を欠如させる言葉の懸念要素が紹介されている。定型とは、テレビにはテレビの、雑誌には雑誌の語り口があることを指す。その特徴は「そういうふうに思うのがふつうなのか」と、聞く側の人間に思わせる。最近のテレビなどは定型にまみれており、私たちの身の回りは型にはまった言葉ばかりである。そのため、定型の術中に陥り、自身も定型した言葉を発していることに気づかずにいる。

 言葉を交わし、人と関わることから私たちは多くの物を得ている。内田はそれを“贈り物”と呼んでいる。贈り物は目に見える物ではなく、“わけのわからないもの”だという。それを受け取ることで“反対給付義務”が生まれ、誰かにお返しをする。贈り物は巡り巡ることで、コミュニケーションとなる。

 だが、自分の言葉を持たなければ、贈ることはできず、また贈り物の存在にも気付かない。よく“メディアは衰退している”と耳にするが、このメディアの衰退の元凶は定型した言葉に身を委ねることで“何かを感じる能力”が衰弱している私たちにある。メディア共々私たちが生き抜くためには、自分の言葉を持ち、表現することが必要だ。そのためにも、もっと日常に目を向けることが大切だと内田は言いたかったのではないだろうか。この本は、私たちにメディアと言葉について考えさせる本である。

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