内田樹『街場のメディア論』(光文社新書)
【K.A.】
メディアが凋落し、いかに私たちの生活や価値観がそれにより操作されていたかと気づく。物事のシステムが順調に機能しているとき、どのように構造化されているかは、見えにくいものだ。現代におかれる状況は、テレビ視聴率の低迷、新聞・出版部数の低下といったメディア危機である。本書は単なるメディア批判を書き連ねたわけではなく、現代日本人への警告を示しているものとも言える。我々の知性の不調や、めまぐるしく行き交う情報により、「価値と有用性を先駆的に感知」できなくなった私たち。これこそ、深刻な事態なのだと著者はいう。
第五講では、メディア崩壊の理由として、“世論”と“ビジネス”があげられている。世論というのは、誰でも言いそうな言葉の多数派で、言責を取らない言葉である。個人でもメディアでも、「自分がここで言わないと、たぶん誰も言わないこと」を選択しなければならないのは同じである。また、ビジネスとして成り立たせようとするがゆえに、常に変化を求め、情報を提供することで商業的利益を得る。これがメディアの在り方で良いのか。この定型から離脱しないと、復活はないと著者は主張している。 第七講と八講には、なんだかよくわからない贈り物を、自分宛てだと勘違いできない人間が増加していることと、マスメディアは発信する情報を読者に飲み込みやすく加工して、我々のリテラシーの低下を促していることを気付いていないと書かれている。いずれも、著者は情報を受け取る側のレベルの低下を危惧している。
消費者と見なした私たちへのメディアの配慮こそ、お互いの知的なクオリティの後退へ繋がっている。決して他人事ではなく、一人一人が当事者であることを認識するために、この本は存在する。これを著者からの贈り物と感じることができれば、危機を乗り越えられるということを述べた書籍だ。