内田樹『街場のメディア論』(光文社新書)
【N.A.】
本書は「メディアの不調はそのままわれわれの不調である」と唱える著者が、「メディアの虜囚」であるわたしたち現代人に向けて書かれた“教科書”のようなものである。キャリア教育からマスメディア、出版や読書、贈与経済など様々な切り口を通じてメディアとの付き合い方を考えさせてくれる。
誰しも、メディアからの情報がまるっきり正しいことではない、ということはなんとなく分かってはいるはずだ。ただ、そうと知りながらもわれわれは、メディア上の情報を100点満点のもののように鵜呑みにしがちである。そんな現代人を取り巻く身近な環境について、著者が鋭く突っ込んでいく。なかでも目を引くのは、メディアが発する言葉自体が「自分たちが責任を負っているようにみせかけたもの」ではないかという話。この話は、「世論」を語るメディア上に溢れている言葉たちは「みんなの意見」とされ、「誰も何の責任も引き受ける必要がない」と続く。著者はマスメディアには無難な情報を選好し、読者を不意打ちするような情報を忌避する傾向があると語るのだが、本書を読めばそのワケがよく分かる。世論がみんなの意見であるならば、みんなが理解できるような言葉でしか表わすことが出来ない。こうしてますます情報が「口当たりのよい」ものへと化す。これは危機的状況なのだ。
われわれはインターネットや新聞、雑誌といったメディア媒体が溢れる環境で日々を過ごす。そのなかでいつしか、情報を「できるだけ誰でも分かるように、そして素早く手元に届くもの」と捉えるようになった。まさに著者の言う「消費者」的発想である。きっとそうしたわれわれの欲望と知性のバランスが崩れているからこそ、「メディア論」たるものが話題になるのだ。この一冊を読んでハッとさせられる読者は、きっとわたしだけではないにちがいない。