「ジュリアン」
(死の悲しみを感じつつ、死者から受け取った贈り物で温かな気持ちになる心情を表現→結果、ホラーのようなおしまいになりました)
【Y.R.】
アルバイトからの帰り道、最寄りの駅に着き、友人から届いたメールに気がつく。
「ジュリアン... なくなったんだってね。大丈夫?」
私は実感を持てず、涙も出なかった。最近は、いつそのときがきてもおかしくないと、予感していたのに。いざ現実を突きつけられると、まったく理解することができなかった。携帯電話の画面に浮かぶ文字が、非現実的な装いで胸にとびこんできて、何度も私をどきりとさせる。
ジュリアンはもういない。
ジュリアンはいなくなってしまった。
私は状況を受け止めようと、頭の中でそう繰り返した。
家族は、帰り道にショックを与えてはいけないと考えて、連絡をしてこなかった。その心遣いに泣きたくなる。
小学生の頃から九年間、共に生活をしてきた、うさぎのジュリアン。近所の下着屋が閉店するときに、最後に懸賞でうさぎのプレゼント、という一風変わった企画が催された。たまたまそこに居合わせた、祖母と母と妹と私。ルールは、紙に名前を書き、それぞれがくじ引きボックスに入れ、くじを引く、という安直なものだ。私たちは、家族全員の名前を書いて、五羽中最後のうさぎを当てる。毛並みの良いグレーで小さな耳をした、妹とふたりで狙っていたうさぎで、いちばん小さい虫かごに入れられていた。
「長く生きても寿命は五年。ミニウサギなので、これ以上あまり大きくはなりません」といわれて我が家にきた生後二ヶ月の雄うさぎジュリアンは、みるみるうちに大きくなり、ゆうに五年を越えた。いちごとチョコレートとごはん粒と、買い与えた中では高級な方のラビットフードを好んで食べた。固いものを嫌うため、よく歯が伸びすぎて医者に切ってもらいに行く。そのたびに大暴れした。人間の食べ物を与えてはいけませんとよく怒られた。犬用のリードをつけては、喜々として公園へ「うさんぽ」に行き、大型犬を見ると血相を変えて逃げ出す姿にこちらまで不安になったり、その慌てようが妙に可笑しくなったりした。やんちゃなところが可愛く、「うさぎは寂しいと死んでしまう」なんて、まさか、と思わせる、自由気ままで奔放なうさぎだった。
九年間のできごとが、断片的に思い出される。これから思い出が増えることはないと思うと、込み上げてくるものがあり、その存在の大きさを感じた。心に空洞ができたような気がした。
その夜は、家族全員がお別れを言って自室へ退散していったあと、私は一晩中そばにいた。最期を看取れなかった、せめてもの恩返しのつもりで。目を瞑ったまま動かないジュリアンをじっと見ていると、視界が歪む。頬が濡れ、拭うたびに手に水がつく。それでも、現状を把握できている感じはしなかった。夢の中で路頭に迷い、泣くことでその痛みを周りに表明しているような滑稽さを伴っていた。誰か外の世界の人に気づいてほしい思いだった。
次の日は、動物霊園でお葬式をした。お気に入りだったいちごの赤と、毛並みの灰色が良く合っていた。
お経が読まれ、「ジュリアン」と名前を読み上げられたときに、ろうそくの火が一気に燃え上がった。
ジュリアンの魂が映し出された炎を見て、みんなで泣いた。
お葬式も終わりに近づき、最期の別れを惜しんでいた頃。供えていたいちごがなくなっていることに気づいた。
「ジュリアンが食べたんじゃない?」
あの子は、何でも食べてしまうやんちゃで食いしん坊なうさぎだった。とくにいちごを好んで食べた。悲しみに浸っている私たちを見て、粋な計らいを思いついたのかもしれない。
ジュリアンが死んだ。