総評(ショートストーリー)/ 前期
難波江 和英
今回も、前年度と同様、ちょっとヒネリのあるストーリを書いてもらうことにしました。笑えるのに悲しい。悲しいのに笑える。そういうヒネリさえあれば、どんな物語でも、どんな長さでもかまいません。書評のときのようにテキストもありませんので、みなさん、ずっと伸び伸びしています。こちらもチェックする立場を忘れて、楽しく読ませてもらいました。「よい文章」とは、そういうものです。
そう言いながら、ないものねだりを少し。書いてもらうのはストーリーですから、フィクション。何をどう書いてもらってもかまわないのですが、どうしても自分(関連)のことが中心になっています。それが悪いというわけではありませんが、どうせなら、もっと自由奔放に物語の世界をつくってもらってもよかったのに、と思います。
たとえば、私が最近ハマっている池波正太郎の『鬼平犯科帳』(24巻)。舞台は江戸、主人公は火付盗賊改(ひつけとうぞくあらため:特別警察)の長官(おかしら)、長谷川平蔵(とその部下たち)こと「鬼の平蔵」、「鬼平」。サンプルとして、第四巻の第一話「霧の七郎(なごのしちろう)」を読んでみましょう。鬼平の息子、辰造が腕の立つ剣客にいのちを狙われる。人の生死に関わる場面。それなのに、それなのに、笑える。プロの作家は、やっぱりスゴイ。
毎年、学生たちのショートストーリーにはペットが出てきます。今回の4回生では、【K.M.】さん(イヌ)、【Y.R.】さん(ウサギ)、【I.M.】さん(イヌ)のものがそれ。同様に目につくのは、姉妹兄弟、父母、祖母、祖父といった身内の話。これだけで、ほとんどすべてのネタがカバーできます。しかし、それはまた、物語を生きる人間にとって、身内がどれほど大切な役割を果たしているかを「物語」ります。その意味で、みなさんのストーリーが、ひとつひとつ味わい深く感じられたことも事実です。
それでは、原稿が届いた順に、少しずつコメントしておきます。
【K.M.】さんのものは、犬の視点になっているところがおもしろい。しかし、その天敵ともいうべき「あの子」が登場しないところは、もっとおもしろい。そこに出てこない者によって、そこに出てくる者が振り回される、という感覚。「存在の不在」、「不在の存在」。有名どころでは、ヒッチコック監督の『レベッカ』。あれはちょっとコワイ話。【Y.R.】さんのものは、ウサギ。そのウサギはもうこの世にいないので、これも「存在の不在」、「不在の存在」の話として読めます。ところどころに目を引く表現があり、はっとさせられます。「おさんぽ」ならぬ「うさんぽ」。かわいがっていたウサギがいなくなって、「夢の中で路頭に迷い、泣くことでその痛みを周りに表明しているような滑稽さを伴っていた。」それに続く「誰か外の世界の人に気づいてほしい思いだった。」は、むしろ不要。【I.M.】さんのものは、イヌをこわがっていた「私」の家に、とうとうイヌがやって来た、という話。最初はコワゴワしていた「私」が、ゆっくり、でも、しっかり、そのイヌだけにはなじみ、癒されていくプロセスがうまく書けています。思わず笑ってしまった文章もありました。「『いぬ』と呼びかけながら見つめ合い、写真を撮ってみた。」ただ、最後にもうひとヒネリほしい、と思いはしました。【K.I.】さんのものは、「ほのぼのした話を切なく」という趣旨とはちょっと違うかなという印象。ただ、会話のテンポは気持ちよかった。特に「たっか!!」。同じ場面で視点を変える工夫は、授業でも話しましたが、Scene1とScene2での視点の変更は有効。安物のアフロに関する下り、「だが、びっちゃん達はそれに気づいていない。」は不要か。最後あたりの「小さなアフロは毛がぬけてしまい、円形ハゲがそこら中にできているということに。」は説明過多。「小さなアフロのあっちこっちに円形ハゲ。」くらいで充分。【K.A.】さんのものは、チャットという現代ならではのコミュニケーションツールが効いています。導入部にある「妹に教わったチャット」というのも、結果的に、なかなか意味深。hacchiとゆーゆのおしゃべり、特に二人が兄妹について話すところは読ませます。【K.A.】さんのものは、目のつけどころはよいのですが、「強面の父」と「涙の父(父の涙)」にもっとコントラストをつけるべきだったのでは、と思います。その上で、前半はもっと刈りこむこと、後半はもっと書きこむこと。但し、「電話に返事をする父の声が暗闇に響き、表情を見ていないが、夜という空気がより一層悲しみに耐える様子を想像させた。」は、よいところなので、「電話に応える父の声が闇に響き、夜の空気がより一層悲しみに耐える様子を想像させた。」くらいに。【A.M.】さんのものは、似たような状況をエピソード1とエピソード2に書き分けた点、それぞれていねいに書きこまれている点を評価します。第一のエピソードの結文は、改めて読んでも、ちょっとハッとさせられました。第二のエピソードの「黒目が動く範囲内の視覚と、嗅覚と聴覚を研ぎ澄ます。」は、すぐれた観察。【Y.M.】さんのものは、「質量保存の法則」をめぐるアイデアの勝負。空回りしそうになるところをがんばって、軟着陸。それでもなんとなくしっくりくるのは、「心的質量保存の法則」という結文に、誰もが頷いてしまうからでしょう。【Y.M.】さんのものは、木村さんの方法とは違うけれど、姉妹の交流をうまく表現しています。妹が大人になろうと努めるところ、姉が大人であろうと踏ん張るところ、読ませます。「つみ」のひらがなが生きています。「お姉ちゃんに教わった通り、ちゃんと顔を見て謝らなあかん。」「「昨日、ごめんな。痛かったやろ? ごめんな」 ほろっとします。【M.I.】さんのものは、言葉の肌理ということを思わされました。「日常に切り込みを入れられた」、「今日の天気を知らせるような口調」、「作りものの音楽」、「無機質になりすぎない程度に返事」。それ以外で目についたのは、導入部。ちょっとした「現代思想のパフォーマンス」(内田樹さんと私自身による共著のタイトル)。「祖母は、みかんよりも、まんじゅうが好きだった。」の過去形。そして、ぞくっとする「朱」(あそこで終わったらストーリーとしては意味不明になりますが、最初は、黒い穴からの連想で頭に「朱」が浮かんだと読んでしまったので、ちょっとこわかった)。【H.R.】さんのものは、目新しいテーマではないけれど、父親の「こころ」の揺れを体言止めでリズミカル&コミカルに描いて、読ませます(但し、該当箇所の前後を含めると、やや体言止めが過ぎたかもしれません)。「強気な発言」、「ちょっと困り顔」、「猛反省中」、「父、弱気」、「深呼吸」。最後の「あら、仲直りできたみたい。」には、拍子抜けのおかしみあり。【H.S.】さんのものは、エピソード1からエピソード3まで、A4用紙3ページを超える力作。エピソード1は最初の段落から笑えます。「ハイ、ヨンヒャクエン、オネガイシマス」のカタカタも生きています。最後の「いつも私のこころをひっかいている」という表現も、なるほど。エピソード2は母親の目線。母親の「こころ」をちゃんと書ける娘に感心。「最後の一人の役目を終えて、なんだか子育ての節目を迎えているようにも感じる。」「もう少しおはしょりが短くてもよかったかもしれない。」エピソード3は娘の視点。エピソード2で使った「お母さん、すごいね。一つの歴史じゃねー」という表現を繰り返して、母娘のつながりに倍音を乗せています。最後のあたり、自分の生き方に気づく「娘」の描写は、「20歳」の若い力を感じさせて見事。【K.T.】さんのものも、よく書けています。第一部は、なっちゃんアップル味というジュースの視点。自販機に入っている状態から、女の子に買ってもらって、飲んでもらって、ゴミ箱へ、という流れがおもしろい。あちこちの書きこみも、いちいちおかしい。「自動販売機304-4号機」、「いろはすっていうばりばりいうほど身体が柔軟な子」、「すっごくずっしりした色黒のオロナミンCっていう子」、「賞味期限2012年7月1日」。第二部は、なっちゃんアップル味を買ってくれた女の子の視点。祖父の七回忌とジュースがなぜか結びつく、という話。ありそうなことですが、それでも読ませます。【U.H.】さんのものも、祖父の話。(みんな、やさしい。)「おじいちゃんの命」は、「おじいちゃんの寿命」と「おじいちゃんの大切なもの」をかけて読みました。それを「つまようじ」で表現した点に、おかしさと切なさを感じます。「足音」と共に、さりげなく書かれている「耳鳴り」。さらに、「ヒトの体は拒否反応を起こす」、「涙で病室が歪んだ」。そういう点から考えれば、本当は、人のセンサー、センサーとしての人を描きたかったのかもしれません。