「20歳の『私』を生きる」
(この作品では、「幼く見られている」ことを気にする主人公の少し卑下した悲しみを、家族とのふれあいで最後にほっこりと包むことができるように書きました。)
【H.S.】
エピソード1
「ありがとうございます。400円になります。」「えっ…、そうですか。」 心の中は複雑だ。「ハイ、ヨンヒャクエン、オネガイシマス」と、いっそのこと言ってしまえたらいいのに。でも、私にはできない。「あの、800円で。」 バカ正直と言われてもいい。ここだけは嘘をつけない。私、大人料金、払います。
私は実年齢より若く見られることがしばしば。自分と一番長く付き合っているのは他ならぬ自分、よく分かっている。「いいじゃん、別に。入場料とかでもごまかせるし」と周りからはよく言われるけれど、気持ちの面で大きな打撃を受けてしまうのだから損も得もない。でも、一度だけ得をしたような、していないような、何とも言えない出来事があった。
一年前の夏の日。初めての「更新」のために、運転免許センターのエントランスに足を踏み入れた。午前中の部で済ませてしまおうと歩調を速め、見えた先には行列と男性の怒鳴り声。そうか、そういえば前に一度来た時、職員の人がひどく怖かったな。少し緊張しながら、行列に近づいていく。「こっちじゃ。はよせぃ。」 先頭の人が受付の人から急かされている。そんな、初対面の人に向かってまるっきり方言を出したりして遠慮がないなぁ、と心の中で呟きながら、たくさん手渡された書類に目を通していく。この書類の提出先こそあの面相の怖い受付の人と分かり、間違いがないように必死になった。「おじょうちゃん、こっち、こっち。」「え?」 とっさに顔を上げると、先頭は私になっていた。やってしまった、怒られてしまう、そう身構えると、「こっちに来んちゃい。はよ来んちゃいや。」 肩の力が抜けると同時に周囲の視線を感じて、また縮こまる。「はい、これとこの資料、本当はこうなんよ。間違っとるけぇね、直しんちゃいね。分かった? はい、いってらっしゃ~い。」「アリガトウゴザイマス。」 ご親切にどうも。でもおじさん、形相というか、しゃべり方変わりすぎですよ! 私のこと、いくつだと思ってます? ここに来る人は皆、少なくとも18歳以上なんですよ!! それに、免許の更新ということはさらに2~3年は経っていると予測して・・・。
思い出す度に、周囲との扱いの差に苦笑いが込みあげてくる。今日のことといい、一年前のことといい、私は10年後どうなっているのだろう。20歳の私が20歳たらしめない現実は、いつも私のこころをひっかいている。
エピソード2
「もしもし?」「もしもし、元気にしとるんね?」「うん。元気よー。みんな元気?」「ありがとう。みんな元気にしとるよ。ちゃんと食べとるんね?」「うん。食べとるよー。」「明日、帰ってくるんね?」「うん。帰るよ。」「駅に着いたら連絡しんちゃい。迎えに行くけん。」「ありがと。」
まったくあの娘は放っておいたらいつまで経っても連絡がないのだから。たまに電話をかけても元気がなかったり。もっとちゃんとご飯を食べて、明るい方向に何でも考えるようになればいいのだけれど。まぁ、こうと考えたらそこしか見えない、良くも悪くもそういうところが私に似たのだろう。まぁ、明日から数日間はおいしいものを食べさせて、栄養をつけさせよう。
「おかえりー。」 夜の改札口で娘を発見。「ただいま。」「疲れたじゃろ。人多かった? 新幹線には座れたん?」「うん。なんとかね。サラリーマンの人が意外に多かったけど。」「そう、よかったね。それより久美子、あなたちょっと痩せたんじゃない? 何を食べっとったんかねー。」 末娘の久美子が大学進学を機に家を離れて1年。休日にはまめに自分でご飯をつくっているようだが、週末に電話をかけて様子を訊くと、「ご飯がない!」「何も食べていない」と心配させる。少しはたくましくなったような気もするけれど、まだまだ、である。
「家まで運転してもいい? 免許証持っとるよ。」「うーん。今日はやめときんさい。疲れとるんじゃけぇ。」「えー。まぁ、そうじゃね。やめとこっと。」「そうしんさい。」 家までは車で10分もかからない。夜だし空いているからもっと早く着くかもしれない。帰ったらすぐにご飯を温めて…。「ねー、お母さん。この前ね、友達と美術館に行ったんよー。そしたら、入館料を払う時また中高生に間違われたんよー。どう思う? ひどいよね。」「そうだったん。まぁ、人は外見じゃないよ。気にしんさんな。」「うーん。」 久美子はまだぶつぶつ何か言っているが、声も電話で聴いたより明るくて一安心だ。お父さんもお姉ちゃんも、何だかんだ言って久美子の帰りを楽しみに待っているから、今夜はにぎやかになるだろう。
翌朝。娘二人は目をこすりながら起きてきた。久しぶりに姉妹がそろい、昨夜は遅くまで話していたのだろうか。そうだ、今日はあれを見せてやらなければ。茶色い封筒に入れたアルバムを持って食卓に着く。「成人式の時の写真ができたんよ。ほら、見てみて。」「わー!!」 私が着せた振袖。姪と長女、そして末娘の久美子の成人式で三度着付けた。最後の一人の役目を終えて、なんだか子育ての節目を迎えているようにも感じる。実際にはまだ心配ばかりで、そんな風にはなかなか実感することはないのだけれど。「お父さん、お母さん、ありがとうございます。」 久美子が改まって言ってくれる。「よかったわね。」「うん。」
食事の後片付けを終え居間に向かうと、久美子が何やら戸棚を探っている。「何しとるん?」「あー、あのね、お姉ちゃんの成人式の写真、もう一度見たいなって。」「そう、そこにあると思うよ。」「ほんまにー?」「そこにしか納めるところないけぇね。」 姉と照らし合わせてみたいのだろうか。やれやれと思いながら、長女の時はどんな風に着付けたのか見てみたい気持ちもこみあげてくる。久美子が必死になって探している間、久美子の振袖に目が移った。まずまずに着せられているが、もう少しおはしょりが短くてもよかったかもしれない。練習で着付けた時には上手くいっていたので、悪かったなぁ と思う。もし、次に着せる機会があったらきちんと着せてあげよう。「あったよー。ついでにすごいお宝ものも出てきたよ。」 久美子が叫ぶ。「どれどれ、見せて。」 あっ。私の成人式の時の写真だ。もう何十年も前の写真だけれど、当時のまま変わらない。時間が流れたなぁ。この時はまだ自分の娘に着付けることになろうとは思ってもみなかった。時を越えて、それぞれのフレームに一人一人が立っている。「お母さん、すごいね。一つの歴史じゃねー。」「そうじゃね。」 本当にそうだ。私たち母と娘、一人ひとりの点が線となって時代をつないでいる。娘たちにこの振袖を着せることができて、本当に、よかった。いつか孫にも着せる時が来たりして。私もおばあさんになるのね。ふふ。楽しみだわ。
エピソード3
地元の駅に降り立つと、なんだか足の下からじんじんと懐かしさが込み上げてくる。風もなんだかやわらかく感じられて、頬がくすぐったい。改札を出ると母の姿。「おかえりー。」 手を振っている。「ただいま。」 時刻は夜9時過ぎ。夕飯のビールも飲まずに待っていてくれたんだな。久しぶりに会う母。電車の中では、会ったらあれを話そう、これを話そう、と思っていたのに、出てくる言葉はつっかえて上手くしゃべれない。でも、いいんだ。母は横で、「ちゃんと食べていたのか、痩せたんじゃないのか」と訊いてくる。そんな、太ったくらいだよ。でも、言っても信じてくれないからあきらめている。まぁ、食生活が多少不規則なのは事実だし…。
「家まで運転してもいい? 免許証持っとるよ。」 実家でしかできないから、少しの距離でもと思っていたが、母に止められてしまう。そう言われると、確かに少し疲れているし、今日のところは母の意見に頷くことにした。ゴールド免許を目指すんだから。幼く見えても、やる時はやる人間になるんだ。そうそう、母にあの話をしてみよう。「ねー、お母さん。この前ね、友達と美術館に行ったんよー。そしたら、入館料を払う時また中高生に間違われたんよー。どう思う? ひどいよね。」「そうだったん。まぁ、人は外見じゃないよ。気にしんさんな。」 母の表情もいたって普通。私は私でいいって思っているのかな。「うーん。でもさぁ、いつになったら年相応になるんかな。やだなー。」
実家に着くと、父と姉が待ってくれていた。「よぉ、久しぶりじゃのぉ。」 父もなんだか嬉しそう。私も嬉しくなる。「あ、お姉ちゃん、ただいまぁー。」「おかえり。久しぶりじゃね。元気だったんー? どんな生活しとったんね? もぅ、心配よぉー。」「なんとか、ね。久しぶりの家じゃ。なんだか広く感じるわ。」「うん。ゆっくりしんさい。」 家の香りが私をふっと包みこむのを感じた。
翌朝。重たい目を何とかひらいて食卓に着くと、母が私の成人式の時の写真を見せてくれた。写真に写る私の手は赤い。そういえば、写真館はとっても寒かったけなぁ。でも、あの時のまま、そのままの私が写っていて大満足である。憧れていた振袖を着て、髪も整えてもらって、式典では地元の友達に会うことができて…。嬉しさに満ち溢れている。「お父さん、お母さん、ありがとうございます。」 私は幸せ者だ。「よかったわね。」「うん。」
食事が終わっても、まだしばらく写真を眺めていた。自分の晴れ姿、何度見てもやっぱり嬉しい。そうだ、同じ年齢でなお且つ同じ格好をした姉を見たい、と思った。20歳の姉と私。並べてみようと思った。戸棚を探っていく。見たい一心で探すがなかなか出てこない。食器洗いを終えて居間にやってきた母にも確認を取るが、ここにしか納めるところはないとのこと。必死で探すと、やっと見つけた。おまけに、すごいお宝ものも出てきた。母の成人式の写真である。すごい、母も私と同じ振袖を着ている。知ってはいたけれど、実際に見ると感慨深い。私のと、一緒だぁ。「お母さん、すごいね。一つの歴史じゃねー。」「そうじゃね。」 母は三つの写真を並べて、じっと見つめている。探していたのは姉の写真だが、初めて見る母の写真にくぎ付けになる。誰が母の振袖を着付けたんだろう。祖母だろうか。後で聞いてみよう。それにしても、母と私はどことなく似ているなぁ。同じ格好をしている、ということもあるけれど、見れば見るほどそう思えてくる。不思議な、なんとなく神秘的な気持ちになるが、親子だから当然といえる。あっ。そうだ、そうなんだ。私は突然、時空の中に落ちていくようだった。大丈夫、私もちゃんと年を重ねることができる。今の母があるのはこの写真の中の母があるからで。母ははじめから「母」だったんじゃない。母の人生にはいろんなことがあった。仕事、結婚、子育て。そのなかで生き抜いてきて、今、私の目の前にいる「母」になったんだ。もちろん、私は母と全く同じ人生を歩むことはないだろうけど、私の歩幅できちんと生きていけば、それだけでいいんだ。私は父と母の子どもで、姉の妹で。ただそれだけでいいじゃないか。いくつに見られても、私は私のペースで、生きていけばいいんだ。今の私が未来の私をつくるから、自信を持って、生き抜こう。どうせなら、コンプレックスも味方につけて、20歳の「私」を生きよう。