「命のつまようじ」
「怖い話?」→「ほろっとした」と思ってもらえたら、成功です
【U.H.】
トン トン トン……
午後2時23分、私は小さな足音を聞いた。留守番を頼まれた私のほかに、家には誰もいない。けれども確かに、なにかが背後を横切る音を私は耳にしたのだ。それまでぼーっと見ていたテレビの方からバッと振り返ったが、そこには何もいなかった。
── その日の夕方、祖父が亡くなったという電話が、病院からかかってきた。
祖父は癌だった。三月に悪性の腫瘍が見つかり、すぐに入院生活が始まったが、病院での祖父は入院前となにも変わらないように見えた。口から出まかせの不思議な言語(通称「おじいちゃん語」)を喋って笑わせてくれたり、隠し持っていたお酒が祖母に見つかり、おとうさん何考えてんの!と叱られてしゅんとなったり。祖父は相変わらずいたずら好きの少年のようだった。そんな姿を見て、おじいちゃんなら癌も治しちゃうんじゃないかと私は思っていた。
祖父は元気だったころ、食事が終わるときまってつまようじを使った。ポロシャツの胸ポケットに2~3本常備し、外出先でも絶対にきらさないという徹底ぶり。蕎麦屋さんでもつまようじ、レストランでもつまようじ、遊園地にもつまようじ。
「なぁなぁ、なんでおじいちゃん、いっつもつまようじ持ってるん?」と尋ねる私に、「これな、おじいちゃんの命」と祖父はくしゃっとした笑顔で答えた。
祖父が教えてくれた「命シリーズ」は他にもある。命のマヨネーズ(祖父曰く、何にかけても美味しくなる魔法の調味料)、命のアロンアルファ(祖父は手先が器用で、壊れたものは大抵これで直してくれた)、命の三千円(私と弟が「ジュース飲みたい!」とねだった時に、祖父のポケットから出てきた。なぜか祖父がいちばん驚いていた)である。思い出してみると、祖父が「命」だと言っていたものは全て、身の周りにあるものばかり。そして四つのうちの二つは、他の人のために使うものだった。
私たち家族がお見舞いに行くと、祖父は「よっ、こい、しょ」と身体を起こし、目尻にたくさんシワを浮かべて笑うのだった。時々「いててて」とみぞおちのあたりを押さえるが、顔を歪めるのは一瞬で、すぐに笑顔に戻る。祖父の癌細胞の多くは肺にあった。いててて、で済まされるような痛みではないということは、癌の知識がない中学生の私でも想像することができた。それでも祖父が私たち家族に弱音を吐いたことは、一度もなかった。
中学校が夏休みにさしかかった頃、祖父の癌の進行は目に見えてわかるようになった。骨格がわかるくらいに身体は痩せているのに、手足だけが不自然に腫れている。
「なんかね、手とか足とかが腫れてくるのは、あんまりよくないことなんやって」 祖母の言葉を聞き、「よくないこと」の意味をなんとなく理解してしまった。私たちが会いに行っても、祖父はもう起き上がることができなくなっていた。
八月の日曜日、二週間ぶりの家族揃ってのお見舞いの日。父、母、弟が、順に祖父の手を握って声をかける。私の番がきた。なんだか変にどきどきする。チューブに繋がれ、目を閉じてゆっくりと胸のあたりだけを上下させている祖父を、私はしばらく見つめた。ベッドの上にくったりと横たわる浮腫んだ手を、遠慮がちに握る。微かに握力を感じた。それがあまりにも弱々しくて、私は思わず手を離してしまった。支えを失った祖父の手は、トサッとベッドに落ちた。
帰りの車の中で私は後悔した。どうしよう、おじいちゃんを傷付けたかもしれない。次は絶対に強く握る。
そう決めていたのに。
── プルルルル……
電話をとったのは母だった。
「病院。おじいちゃんが。亡くなったんやって……」
考えたくないこと、すぐには呑み込めないことを聞かされると、ヒトの体は拒否反応を起こすのだろうか。頭からスーッと血が引いていくのを感じ、私の耳は母の言葉を受け付けまいと、耳鳴りを起こし始めた。ふと、昼間に聞いた足音が頭をよぎる。
……そうか、あの足音はおじいちゃんだったのか。最期に会いに来てたんだ、私に。電話機の前で座り込む母をぼんやりと眺めながら、そんなことを考えていた。
通いなれた病室のドアを開けると、先日までと変わらない祖父の姿があった。真っ白なベッドの上で、静かに目を閉じている。違っているのは、外されたチューブと、上下することのない布団だけだった。
「おとうさん、寝てるみたいやねえ」 たった一人で祖父の最期を見届けた祖母がぽつりとつぶやいた途端、うるさい耳鳴りがぴたっと止んだ。
おじいちゃんがいなくなった。涙で病室が歪んだ。
葬儀の前日。祖父の好きなもの、大切にしていたものは何だったか、と父に聞かれた。答えるのに時間はかからなかった。
翌日、祖父の棺にはたくさんの花と一緒に、三千円とつまようじが入れられた。食べ物や接着剤は入れることができないという理由で、「命シリーズ」は半分だけになってしまった。でも祖父ならきっと、半分もあれば充分や、と笑って許してくれるだろう。
祖父の胸ポケットが空っぽにならないよう、今日も私は仏壇につまようじを供える。