「数分間のタイムトラベル」

【I.R.】

 泰は興奮した様子で帰ってきた。走って帰ってきたのだろうか、息が少し荒れ気味で、ほんのり頬が赤く染まっている。おかえりと声をかける隙も与えず、僕に飛びついてきた。
「すっごいとこ見てきちゃった、何か知りたい? ね、なんだと思う?」
彼女のキラキラした瞳は、僕に正解を言われることを望んではいない。しばらく考えた振りをして、当たり障りのない答えを出す。
「ぶっぶー、不正解。 実は、、、10年後の柴崎家見ちゃった!」

 僕の頭の中の答えは正解だった。彼女は政府の時空開発部門の機械課で働いている。このようなことがいつかは起きると想像していた。というか彼女が言っていた。彼女は、夕飯時になると、僕の作ったご飯を食べながら少女のようにひたすら喋る。政府関連の話は内密で、誰にも話をしてはいけないらしいが、どうやら社会と関わりが薄い僕には話をしても問題がないと判断しているようだ。今日も僕の作ったラザニアを大きな口で食べながら、「10年後の私たち」について話をしてくれた。泰が言うには、開発中の時空移動機がついに完成し、彼女はその機械で十年後にタイムトラベルしてきたのだという。

 「あそこの庭の窓から覗いたの。3人で朝ごはん食べてたわ、っていうか朔ちゃんが学ラン着てたの!! 後ろ姿だったから顔は見えなかったんだけどね、隣に置いていたエナメルの鞄にバスケのロゴ入ってたから、きっとバスケ部ね。十年後、朔ちゃんの試合観に行くの楽しみでちゅよーー」と、隣でちょこんと座っている朔太郎に話しかける。そうか、この子は十年後、中学生か。運動部に入っているということは、完全に泰の遺伝子のほうを引き継いでいるな。

 「でもね、晃と私は、全然変わってなかったわ! あ、でも晃、少し若返ってたかも! 生き生きしてたわ。絵が売れ出してきたのかも。楽しみねー。」
彼女は口が二つあるのだろうか、こんなに喋っているのに、もうラザニアを綺麗にたいらげている。顔にかかった毛を耳にかけなおして、満足気に話す彼女は、向かうところ敵なしといったところだ。薄化粧が、整った顔立ちを際立たせている。彼女に微笑まれたら、僕も自然に顔がほころぶ。昔はモデルもしていたらしいが、チットモ面白くないと言い、今の職に性を出して働いている。そんな魅力的な彼女と十年後も一緒に暮らし続けていられるなんて、不思議でならない。

 彼女の話は、意外にも呆気なく終わった。時空移動機は、今の段階では10分間しかもたないらしい。また、未来の泰と目が合いそうになりすぐ現代に帰ってきたという。数分間に得られた我が家の情報は多くはなかった。十年では朔太郎のたくましい成長ぶり以外には、あまり変化がみられないのか。泰はビールを飲み干し、僕に向かって綺麗な笑顔を見せると台所に食器をかたずけに行った。その背中を目で追いながら、泰の鼻から抜けたため息を、僕は聞き逃さなかった。

「あっ」
声が出そうになったが、素早く止めた。窓から人が覗いていた。不審者かと一瞬思ったが、目を丸くして慌てて逃げた姿を見て確信した。 ー 私だ。
ああ、そうか。今だったのか。私がタイムトラベルしてきた時は。情けない笑いがこみあげてきた。私と目が合いそうになり逃げた彼女は、家に帰るとすぐに晃に飛びつき、我が家は十年後も変わらず幸せそうな家族であることを笑顔いっぱいで報告したのだ。だけど彼女は見逃していた。活き活きとした晃の心は私には向けられていなく、もっぱら絵にあることを。つまらなさそうに朝食を食べる朔を。私のポケットに、自分のサインが書かれた一枚の紙が入っていることを。いや、彼女は気づいていたのか。何も変わらないように見えた十年後に、薄い靄のようなものが漂っていたことを。私には分からない、いつからそれが漂いだしているのか。考えているうちに、涙があふれてきた。
「どうした?」
晃が困ったような顔をして聞いてきた。
「えっ? なんにもないよっ! あくび!」
満面の笑みで答える。
晃は無表情で、再びパンにかじりついた。

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