「変わらないもの」
【K.K.】
1段、2段、3段…。
「わあ!」
ぼてっ。
「いたたた…。」
高校生にもなって、駅の階段をのぼりながらこけてしまった。少しの体の痛みと大きな恥ずかしさをポーカーフェイスで隠すこともせず、思わずひとりでニヤッとしてしまう。よくこけるわたしにとっては、またこけちゃった、という感じ。
こけてしまったので、ぎりぎりで乗れるはずだった電車は、さらっとわたしを置いて行ってしまった。やはりぎりぎりはよくない。仕方がないので、まあいいや、とゆったり再び階段をのぼり始める。
階段は好きだ。特にこの駅の階段は。なぜって、1段1段に、「あともうちょっと!」とか、「階段は一番身近な健康マシーン!」とか、人の健康を気遣う、階段推奨メッセージが書かれているからだ。
これらを読むたび、なんだか心がほわ~んとあたたまる。つい階段を避け、エスカレーターやエレベーターを選びがちな忙しい人の運動不足に思いを馳せてくれているのだなあ、と思うと、いつもほっこりするのだ。便利さの追求は、時として人の健康にちょっかいを出す。
階段、というと、幼稚園に通っていたときのことを思い出す。
「これは月に通じる階段よ。」
そう言って、だれもいないお遊戯室に置かれていた大きな7段の階段をのぼり始めた。大好きなセーラームーンごっこの真っ最中だった。
1段、2段、3段…。
「わあ!」
がしゃーん。
「いたたた…。」
なんと、崩れてしまったのだ。7段の「月に通じる階段」が。
どうしよう!と幼心にも「わるいこと」をしてしまったのがわかり、恐る恐る先生を呼びに行く。慌ててお遊戯室に入ってきた先生は、崩れた7段の「月に通じる階段」を見てショックを受けたようだった。少し怒っているのもわかった。
「も~ なんでのぼったの? これ、おひな様を飾る階段だってわからなかったの?」
え…?
なんですと…?
おひな様の階段…?
本当にわかっていなかった。セーラームーンになりきっていたわたしにとって、そこにある7段の階段はひな壇ではなく、「月に通じる階段」でしかなかったのだ。
けれど、真実を知ってしまったので謝らねばならない。
「おひな様の階段」なのか~ どうしよう! 壊しちゃったよう!という焦りに襲われながら、平謝り。先生は許してくれたが、「おひな様の階段」は許してはくれなかった。
おへそを曲げてしまった「おひな様の階段」は、立ち直りはしたものの、歪んだまま、となってしまった。
あれから10年以上が経つ。小学校の卒業式の日と中学校の卒業式の日に、幼稚園でお世話になった先生方にご挨拶をしに行った。その度に必ず言われる。
「くるみちゃんが上って壊れたあのひな壇、今も歪んだまま使ってるのよ~」と。
あの7段の「月に通じる階段」は、おへそを曲げたまま、いまも変わらずあのお遊戯室にいる。
変わらないひな壇。
人の不便さにも、「変わらなさ」を残してもよいのではないだろうか。
階段は不便だろうか。エスカレーターやエレベーターに劣るだろうか。
いや、階段は不便ではない。文明の利器にも劣らない。何と言っても、「一番身近な健康マシーン!」なのだから。
わたしは変わらないほうがよいものに気付けているだろうか。だれもいないお遊戯室にぽつんと佇む歪んだひな壇を想うとき、そんな問いがわたしをのぼってくる。