「理想的な幸せ、手に入れました。」

【T.K.】

「直ちゃん、これすごいねー! 芸術って感じ!…でもこれ何描いてるの?」
「あ、佐藤さん来てくださってありがとうございます! これね、一応蝶々なんです…。象徴的に描くのが私の画風なので…。」
私の絵、やっぱりわかってくれる人は少ないか。

 直は、人生初の個展を岡本坂の小さなテナントを借りて開いていた。今日がその一日目で、お昼頃になって、やっと人が入り始めた。と言っても、普段やっている油絵教室の生徒ばかりだが。佐藤のおばさんもそのひとりである。
「大丈夫? へこんでない? 佐藤さん相変わらずパワフルだねー。」
「あ、うん。全然大丈夫! 気にしてないよ! それより今日は手伝ってくれてありがとう。純くんのバイト先の方たち何も言ってなかった? ごめんね、急に頼んで…。」

 直は、手を合わせて申し訳なさそうに謝るポーズをした。
「同僚にはやじられたけどね、なんたって土曜日だし忙しいだろうな。でも毎週貢献してるんだから一日ぐらい大丈夫だよ! なんたって直ちゃんの初めての個展なんだから、僕が来ないと!」

 純は、生徒としてアトリエに通う、直の2つ年下の彼氏だ。歳は下だが、直よりもずいぶん頼りがいがある。

 そのあともパラパラと生徒以外の人も入り、人生初の個展一日目が終了した。

「お疲れ、直ちゃんー! 今日は何が食べたい? 僕が作るよ。」
「ふ~! 座ってるだけなのに疲れたよ~! 一日目大成功だねぇ。夢が叶うってこんなに嬉しいことなんだねー。えっとね~何が食べたいかな……あ!」
アパートに入る前、ふと目に留まったのは、道路の道端の毛並みの悪いかわいそうな猫の死骸だった。その近くには、まだ小さい子猫が2匹鳴いていた。
「かわいそう…。この子最近見ないと思ってた近所の野良ちゃんだ。たまに餌あげたりしてたのにな。」
「そうなんだ…。かわいそうだね。そうだ、結婚したらまた猫飼おうよ! ね?」
「え、うん? そうだね!」

 やっぱり年下癒されるな。可愛いし、いつも励ましてもらってる。こうやって、二人暮らしを始めたのは、今年に入ってからだ。
「ただいまー。」
「ふうやっと帰ったー!」

 いつものように記念日に純からもらった赤い椿の花が迎えてくれる。椿はしゃきっと鮮やかな赤で凛としてこちらを見ている。
「ん~? あららー、この椿、一輪だけ枯れ落ちちゃってるね。ごめんね、純がせっかくくれたのに。個展で忙しくて、しばらく水替えるのサボっちゃってた。」
「あららー。いいんだよ。また買ってきてあげるから。」
「ううん、いいの。記念日にもらったあの時の感動は、また違うんだなー。」
「そうなの?」
「うん、そういうもんなの!」
「純ちゃん、優しいけど、鈍いなあ~。」

 純は、何もなかったように食材を冷蔵庫に詰め始めた。野良のことも、椿のことも、男の子には分かんないよなあ。そうやって寂しくなるのはいつも私だけ。なぜかぽろりと一筋涙が流れた。そう思いながら、彼の背中を見つめていた。やがて純は手際よく料理の準備をしていく。
 トントントン…。
「よし!! 明日ももう一日あるし、引き続き頑張るぞー! 次の個展は何をテーマにしようかな~!」
「わ、いきなりびっくりした。まだ今回のが終わってないのに早速次の個展の話? やる気だねー!」
「うんっ、夢が叶うって嬉しいね。」
そう微笑み合いながら、幸せな二人暮らし。

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