コラム

2026.05.07 「インターセクショナリティ(交差性)」とは?(国際学部 准教授 瀬戸智子)

 近年の日本社会では、多くの人たちによってジェンダー平等を目指す努力が続けられていますが、そのような努力は一部で誤解されている場合もあります。高校にジェンダーについての模擬講義に行くと、大多数は理解を示すものの、一部の生徒から出てくる意見の中には、「ジェンダー平等社会では男性の権利が女性に奪われる」、「ジェンダー平等を推進するのは男性を憎んでいるフェミニスト」など、被害妄想や女性嫌悪さえ感じられるような勘違いもありました。そうした誤解の背景には、男女二元論や性別役割に関する画一的な思い込みがあるのでは、と思わずにいられません。そんな思い込みを打破する考え方の枠組みのひとつに「インターセクショナリティ」があります。

 1960年〜70年代のアメリカで反人種差別運動や反女性差別運動がさかんになった時、前者の中心には黒人男性、後者の中心には白人女性が集まっていました。ところが、人種差別と女性差別の両方を同時に経験する黒人や有色人種の女性たちは、どちらの運動内部からも「他者」として軽視されがちでした。このような状況から来る問題意識が、1980年代に「outsider within(内なる他者)」として社会学者のパトリシア・ヒル・コリンズによって提示され、また法学者のキンバリー・クレンショウが、黒人女性が「同時に経験する差別」は「軽視されがち」であるという問題を「intersectionality(交差性)」という語を使って指摘しました。比喩的なイメージとしては、道路の交差点の中央に立つ黒人女性には、四方から車(差別)が、それぞれ女性差別、人種差別、時には貧困者差別や障害者差別などとして同時にぶつかってくる、というものです。このような交差する差別の被害は甚大であるにもかかわらず、ひとつの差別の問題に集中しすぎると全体像が見えづらくなってしまいます。ちなみに当時は文学の世界でもトニ・モリスンやアリス・ウォーカーなどによって、黒人女性が直面する差別経験の複雑な様子が描かれていました。

 「インターセクショナリティ」は現代の日本社会でのジェンダー平等実現にも有効な考え方です。男女の賃金格差是正を例にとっても、同じ女性でも管理職と非正規職との間、または多数派である「日本人」と在日コリアンなどエスニック・マイノリティとの間にある生活や立場の違いに考慮した議論が必要です。あるいは、若者の望まない妊娠を例に挙げると、日本人の大学生とベトナムから来た技能実習生とでは、周囲からの偏見や中絶のしづらさは似ていても、後者においては就労条件の問題や言語の壁など、独自の難しさがあります。

 ジェンダー不平等の問題を、エスニシティ・階級・職業・セクシュアリティなどに関するさまざまな差別と同時に考えていくと、当然ながら多くの複雑な事例に頭を抱えることにもなります。しかしその複雑さには、多様な立場の人びとの苦境とそれを強いる構造的障壁について、より高い解像度で理解するヒントがあり、「男女」という大雑把な区分けのみにとどまらずに思考する知恵がひそんでいるのです。

執筆者(執筆時点):
国際学部 グローバル・スタディーズ学科 准教授 瀬戸 智子
ジェンダーインスティチュートディレクター

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