タグラインとそれが表現する本学での学びについて、2017年9月に全学生向けにリーフレットを発行しました。
※2020年9月掲出(阪急、電車内ドア横広告)
誰か、じゃなくて、私たちが。
私たちはいま、ひとつの教室にいる。
前例のない状況をまえにして、
誰も答えを知らないし、教えてくれるひともいない。
なんとかしようと提案するひとがいたり。
それは違うと発⾔するひとがいたり。
じぶんの世界をだいじにするひとがいたり。
いろんな立場のひとがいるなかで。
私たちは悩んで、考えて、なんとかまえに進もうとする。
あたらしい学期のはじまり。
はじめてのことばかりだけれど、できることから。
期待と不安と、安全な無関⼼のあいだで揺れながら、
私たちは。私は、
どんな世の中をつくっていこう。
私はまだ、私を知らない。
※2020年3月掲出(阪急・大阪メトロ、電車内ドア横広告) 女子大は、女性大学へ。 そろそろ女子大は、「女子」のままではいられない。 私はまだ、私を知らない。 |
地球はもう、丸くない。
海のむこうに外国がある、
なんて思いを馳せていたのは、もう昔のこと。
いま地球は、四角い画面のなかにある。
行ったことがない地域のことも、会ったことがない人物のことも。
私たちは、それなりに知ることができる。
「知っている」からこそ、世界の大きさや、じぶんの小ささを忘れて、
だれよりも賢くなった気分で語ってしまったりする。
なんて壮大な勘違いなんだろう。
それでも。いままで調べられなかったことを調べられたり、
つながらなかった何かがつながることで、
生まれるものだって、きっとある。
変わりゆくことのなかに、不安ばかりを数えるよりも。
ひとつでも多く、あたらしい可能性を見つけていけたら。
いつの時代もそうやって、人間は、進んできたんだ。
私はまだ、私を知らない。
※2019年9月掲出(阪急・JR西日本、電車内ドア横広告)
批判を疑え。
だれかを批判しているとき、無意識に、じぶんが偉くなった気分になっているのは、なぜだろう。
いつのまにか批判が、非難になっているのは、なぜだろう。
反対のための反対ではなく。この現実を、すこしでも良くするための批判になっているだろうか。
「まだ知らないことがある」って謙虚さから、「ほかの視点もあるかもしれない」って、しなやかさが育まれるように。
この世界が完璧じゃないかぎり、足りないところなんて、いくらでもあるのだから。
それを見つけただけで得意げになるか。どうすれば良くできるだろう、と前向きになるか。
野次馬ではなく、当事者でいるために。私たちは、学びつづける。
私はまだ、私を知らない。
※2018年12月掲出(阪急・阪神・近鉄・JR西日本、電車内ドア横広告)
<文学部 卒業>
英語というスキルを武器にしていた私が、
ビジネスにこそ「心」がだいじ、
と思う日がくるなんて。
わからないから、おもしろい。
<音楽学部 卒業>
大学で磨いた
「音楽」の表現力や技術を活かして、
ザンビアで働くことになるなんて。
わからないから、おもしろい。
<人間科学部 卒業>
植物について
学びたかった私が、
化粧品会社で研究に携わるなんて。
わからないから、おもしろい。
※2018年4月掲出(阪急・JR西日本、電車内ドア横広告)
女は大学に行くな、という時代があった。
専業主婦が当然だったり。寿退社が前提だったり。
時代は変わる、というけれど、いちばん変わったのは、
女性を決めつけてきた重力かもしれない。
いま、女性の目の前には、いくつもの選択肢が広がっている。
そのぶん、あたらしい迷いや葛藤に直面する時代でもある。
「正解がない」。その不確かさを、不安ではなく、自由として謳歌するために。私たちは学ぶことができる。
この、決してあたりまえではない幸福を、どうか忘れずに。たいせつに。
私はまだ、私を知らない。
※2018年3月掲出(阪急、電車内中吊り広告)
人生は、いつだって途中だ。
これで完成ということもなければ、もう遅いということもない。
歩きはじめるかぎり、あたらしい世界は広がっていく。
遠回りだと感じていたことが、あとから考えると、あの道を選んだからこそ今がある、と思えたり。
迷ったことも、悩んだことも。
あなたの卒業が、いい通過点でありますように。
「知ってる」って閉じてしまわないかぎり、人生は、いつだって可能性に満ちている。
私はまだ、私を知らない。
※2017年11月掲出(阪急・阪神・JR西日本、電車内ドア横広告)
※2017年6月掲出(阪急・JR西日本、電車内ドア横広告)
タグラインとそれが表現する本学での学びについて、2017年9月に全学生向けにリーフレットを発行しました。
新制大学設置認可70周年を記念して、社会で活躍する卒業生20名のインタビュー集を2018年12月に発行しました。