総評(書評)/ 前期
難波江 和英
今年度はカリキュラム変更の過渡期にあたっており、「メディア・コミュニケーション演習」は前後期とも開講されました。対象は、前期が4回生、後期は3回生です。どちらの受講生にも、内田樹著『街場のメディア論』(光文社新書)の書評(750字)と各自のオリジナル・ショートストーリー(字数制限なし)を修了作品として書いてもらいました。
『街場のメディア論』については、授業で8週に分けて発表、その後、著者の内田先生(ゲスト講師)の講義、それから書評執筆という順に作業を進めました。最初に出してもらった原稿は、かなり問題がありました。受講生たちには「新聞等の書評」と伝えておいたのですが、女子大生の自分がそのまま出ていたり、単なる感想文だったり、全体の流れがバラバラだったり、字数制限を守れなかったり・・・でも、大切なのは、書評の中身より、媒体(新聞等)との関係、相手(本、著者、読者)との関係、それに書き手としての自分自身との関係を学んでもらうこと。実はそれ自体が、この書評課題のポイントだったのです。そういう関係性をパッととらえて、自然に身体を動かせれば、社会でやって行けますから。
書評の最終稿は、どれも「読める」ものになっています。文章も整っていますし、段落毎の展開もできるようになりました。しかし、その分、最初のころの「ワイルドさ」(?)は影をひそめ、内容も画一化されたという印象があります(苦笑)。これは文章表現の普遍の課題かもしれません。今回の注目は、最後の段落をどう書くか。ほとんどの人が苦しんでいたように見えます。但し、3回生の書評と比べると、内容レベルでは差がなくても、ちょっとした気配りに差がありました。相手をわずらわせないのは仕事の基本。1年の長(?)ありです。
それでは、原稿が届いた順に、少しずつコメントしておきます。
【Y.R.】さんのものは、最後はやや仰山という印象は残りましたが、本全体への目配りもできていて、よく書けています。【K.T.】さんのものは、文章はだいぶよくなりましたが、もっと本の内容について書いてほしかったところ。結文は、そのとおり。【K.A.】さんのものは、第二段落まで「レポート」のようで、誰のなんの本についての文章なのかわかりにくくなっています。最後は、やや尻すぼみ。【Y.M.】さんのものは、最初の段落で本全体の見通しは立ちますが、日本語がややもごもごしています。第二段落から「贈与(経済)」にポイントを絞りこんだため、それでスペースを取られ、最後の二つの段落でバタバタした印象。【H.S.】さんのものは、本人の「声」が聞こえる文章で、好印象。特に最初の段落はうまい。但し、第二段落から最後の段落まで、本全体のイメージはつかみにくい。最後の段落の「合図は響く」の意味も、ややわかりにくい。【A.M.】さんのものは、論理的に書かれているのですが、全体の流れに「ホップ、ステップ、ジャンプ」というメリハリ(音楽のピッチやリズム)がありません。最初の二段落を一つの段落にするなど、言葉の刈り込みも必要です。【K.M.】さんのものも、第一段落から説明過多、第二段落もほとんど自分の意見で、しかも説明過多。最後のコメントもやや弱いので、全体的にまったりした印象になりました。【H.R.】さんのものは、第一段落はよかったのですが、「市場原理の考え方」に焦点を合わせたところから、やや論評のようになっており、本全体のイメージがわきにくくなっています。第一段落の「メディアに対する意識を大きく変容させ」の部分は日本語として不自然。【I.M.】さんのものは、【K.A.】さんのケースでも触れたように、メインとなる第二段落と第三段落が「(学校の)レポート」になっています。書評とレポートの違いはどこにあるのか、考えさせられます。【M.I.】さんのものは、【H.S.】さんと同様、書き手の「声」が聞こえます。文章に艶があるのは珍しいことですが、その分、自分の感覚をもてあましているようにも見えます。【K.A.】さんのものは、全体のバランスがやや悪い。第一段落が終わったと思ったら、本の第五講、第七講、第八講の話で、唐突感があります。文章が冗長なので刈り込みも必要。第一段落の「現代におかれる状況」は意味不明、「警告を示している」は日本語として不自然。【Y.M.】さんのものは、第一段落に魅かれます。ところが、第二段落は間延びしていて残念。第三段落から最後の段落も、「生き延びる」ことに話が集中して、「レポート」のよう。【N.A.】さんのものは、導入部はよかったのに、第二段落が長すぎることからもわかるとおり、本文は著者の意見を説明しすぎて、やや「レポート」のよう。最後に「欲望と知性のバランス」を問題にしたところはおもしろい。